J O E N A K A M U R A B L O G

「ぴあ」の思い出

昨日、雑誌「ぴあ」の最終号が発売されたので買って帰りました。
「ぴあ」は29年の歴史がありながらも残念ながら休刊するそうです。

「ぴあ」を電車でパラパラめくりながら、懐かしい気持ちになりました。
ここ最近はとんと立ち読みすらする事のなかった「ぴあ」ですが、10代後半時分ネットなんてない頃、食い入るように情報を吸収しようと読み込んでいた時期を思い出し感慨深くなったのです。

中学時代に80年代MTV全盛のポップチューンの衝撃を受けたあと、雑誌「宝島」や当時勢いよく飛び出してきたバンド「ブルーハーツ」の影響でサブカルチャーに足を突っ込み始めた高校1年の頃の自分。
楽器も何も出来ないながら、「バンドをやりたい」という気持ちは募り、はみだし投稿欄に「ウイラードのコピーバンドやりたし」なんて葉書を送ったりしたものです。(パンク雑誌「DOLL」に求人するのはちょっと恐かったのです)
幾つか返答があったもののバンド結成にはいたらず、悶々としていた時、同じはみだし欄で「パンクバンドのボーカル募集」というのを見つけ、おっかなびっくり連絡を取った所スタジオに入る運びとなりました。
指定の小岩のリハーサルスタジオに向かう自分の胸は破裂しそうでした。
何せスタジオに入る事も、人前で大声で歌う事も初めてだったのですから。

スタジオで初めて会ったメンバー達はイカしたパンクファッションに身を包んだ若者でした。
それに比べ、水泳部に所属していたせいで坊主刈り、格好はといえば501の古着のジーンズにTシャツという(それでもこの当時はヒロトを真似てお洒落していたつもりでした)自分。
すでに圧倒され委縮していましたが、それを悟られないよう必死に僕は威勢を張っていました。
リハーサルでは、ブルーハーツやクラッシュ、ダムドのコピーを合わせ、僕はともかく下手クソながら無我夢中で歌いました。
数時間の練習を終え、ジュースを飲み、「じゃまた電話するよ」という事で僕は彼らと別れました。


幾週経っても連絡が来ない日々。
僕は痺れを切らしてギターの人に電話をしてみました。(当時は携帯なんてないので勿論家電からです)
すると彼は「ベースの子が怪我をしてしばらくバンドは出来ないから無かった事にしてくれ」との事でした。
その口調から僕は察しました。
「違うボーカルを募集したいから何とか断ろう」という雰囲気。
僕はただ「わかった」と言い電話を切りました。
心中は恥ずかしさと悔しさと「ファックユー」という気持ちでいっぱいでした。


その後少しして僕は同じ学校でハッピーズのギターの若林君と出会います。
彼とは息があい、バンドを組み、それはやがて「ザ・ハッピーズ」と名乗る事となりました。
面白いものです。

バンドを始めてからは情報誌は「ぴあ」を離れ、すっかり「シティロード」派になりました。
ハッピーズがよく出演した新宿ジャムの広告が載っていたからです。
自分達企画の「エレクトリックパブ」のチラシも良く載っていたと思います。

情報誌のライブハウスのスケジュールに自分たちのバンド名が載る。
これは本当に嬉しい事でした。
あんな気持ち、もう味わえないのかと思うと寂しいです。
[PR]
by joenakamura | 2011-07-22 00:45 | 音楽 | Comments(0)