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「都会のハッピーズ」夜話02

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曽我部君は、雑誌「Barf-Out」に不定期連載されていた「自由に歩いて愛して」の記事に掲載されたハッピーズの時代錯誤な写真を見て既に僕らを知っていて気にしてくれていたらしく話はトントンと進み、当時曽我部君がミディ内でやっていたインディレーベル「HAWAII RECORDS」でリリースしようという話はサニーディのディレクターだった渡邊氏も異論もなく、録音の手筈は順調に進んでいくこととなった。


さてアルバムを作る為には曲が必要なわけで、勿論既に数曲候補はあったものの何曲かは新たに書かなくてはいけなかった。
確か「女心と秋の空」という曲は、渋谷BYGでリハーサルをした時(当時のBYGにはリハーサルスタジオがあった)にワカから初めて曲を聞かされて「女心と秋の空ってタイトルで歌詞を書いてよ」と言われてた僕が歌詞を書いたはずだ。


ライブもしながら曲作りを進める最中、僕らの新宿ジャムでの企画「エレクトリック・パブ」にサニーデイが出てくれる事になった。95年12月の事。
サニーデイは後にシングル「サマーソルジャー」のカップリングとなる「湖畔の嵐」という曲をすでに演奏していて(ちなみに「サマーソルジャー」のジャケットの後ろ姿の男は若林君だ)「かっこいいなぁ」と唸った覚えがある。

下はその日のライブで配布したA4二つ折りのパンフレットのようなもの。
(「エレクトリック・パブ」ではライブ当日にそういうものを配るのが常だったのだ)
「都会のハッピーズ」夜話02_f0105810_00470648.jpg

明けて1996年。2月にサニーディの「東京」がリリースされる。
にわかにサニーディ周辺が忙しくなるのを感じつつ、その後の春先辺りから(ちょっと時期はあやふやだが)ハッピーズのアルバムの録音が吉祥寺にあるゴックサウンドでスタートする。
古い機材の充実したゴックは「アナログで録音にしたい」という僕らに打ってつけで、初のセルフプロデユースでの録音は、エンジニア近藤さん、渡邊D、サニーデイらの助言を受けつつ、試行錯誤しながらも総日数1週間ほどで初夏には終了するのであった。

続く


by joenakamura | 2016-11-04 11:25 | 「都会のハッピーズ」夜話